片岡千恵蔵が家柄に咲き綻ぶ梨園の下草に甘んじていたのを阪妻に続く剣戟スターへと引き上げてくれた牧野省三の許から離れる決意をしたのは牧野が監督をし自身も二役で出演した『忠魂義烈実録忠臣蔵』(1928年)です。牧野というひとは人情味のあるひとで、まだ駆け出しだった河津清三郎が(若いし安いし盛んだしで)金が足らないのを見て取ると隅っこに連れていって声を潜め<これはお前だけやで>と何がしかの小遣いをくれるんですが、実際には若手皆に同じことをしていてそうやって大将に目を掛けられているというこそばゆさと懐の温かみを差し入れてやる、そういうひとです。同じ頃父の許で映画製作に乗り出していたマキノ正博は日本映画の父と謳われる牧野が(見様見真似で自ら切り開いていった)映画監督としてはもう行き着くところまで来ていて、これからは企画と製作で映画を切り盛りしていく分岐に立っていたと述懐しています。本人もその自覚があればこそ畢生の大作にせんと『忠魂義烈実録忠臣蔵』への意気込みです。しかし見えざる(時代の、年齢の、勘所の)潮目に気負い立つ焦りが主役の大石内蔵助に新派で邸を構えるほどの権勢家だった伊井蓉峰を据える大見得となり、それが齎すギクシャクを見誤ってカツドウ何ほどのものぞと新派の流儀で押し切ってくる伊井に映画的な芝居は望むべくもなく撮影が進むほどに牧野の懊悩は深まります。挙句に大作であれば当然大役を期待して身を乗り出してくるマキノプロ子飼いの役者たちも役の割り振りに不満を燻らせることになって、とりわけそれが片岡千恵蔵だったということ。そもそもそのうちきっと大石を演らせるという日頃の口約束を反故にされた上、期待した浅野内匠頭からも外された千恵蔵からすれば萱野三平に服部市郎右衛門の二役を充てがわれたとしても失意を埋め合わせるには至らず、撮影後マキノプロから独立です。映画も役者もプロダクションもだんだんと自分の手に収まらなくなっていることを感じつつその思うに任せない思いが数万フィートの長さで編集室を埋め尽くしとぐろを巻いて、繰っても繰っても場面の繋がりを見い出せず(その様子をちらりと覗いたマキノ正博は何か声を掛けそびれる焦りと苛立ちを危ぶみつつ)ライトに近づけすぎた可燃性フィルムに火が走ると瞬く間に編集室は焔を波打たせてマキノプロは燃え落ちます。作れど作れど配給を持たない製作プロダクションの悲哀は濫造を多様さと見紛う現在(のその未来)を予見して牧野省三の無念は深く胸に刻むところですが、今日のところはさてもさても二役のお話。

 

 


『忠魂義烈実録忠臣蔵』の配役を見廻してみると、二役は千恵蔵に限りません。嵐寛寿郎も中根龍太郎も山本礼三郎も何と吉良役の市川小文治までが二役、(マキノプロの引き止めには失敗したものの)千恵蔵たちが二役を好むのはやがて彼らが円熟した年齢で時代劇の大輪となる東映時代劇にも引き継がれて次世代の錦之助も橋蔵もやはり数多の二役に花を咲かせます。中川信夫監督『まぼろし天狗』(1962年)は田沼意次の何彼とずっしり袖の下が垂れ下がる治世に御禁制の阿片で幕政を裏から牛耳ろうという不届き者が月形龍之介です。いまや幕閣も金の魔力に彼の指呼に従うありさまで何とか月形の巨大な陰謀の一端なりと掴もうともがく同心の橋蔵ばかりが頼みの綱ですが、その彼も敵の銃弾に深手を負うとたまたま逃げ込んだ先が橋蔵と瓜ふたつの旗本のお殿様、退屈しのぎに江戸の大掃除に乗り出すという具合。実直で眦を見据える朴念仁の同心と小料理屋の女将をイロにして気のいい無頼漢たちを子分にする江戸の粋なところを生きる旗本の跳ねっ返りという如何にも橋蔵好みの演じ分け。伊藤大輔監督『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』(1962年)では江戸の身分制度をこぼれ落ちる遣る瀬ない面々を束ねた着流しの悪党と幕府を揺るがす巻物の行方を追ってあわやというところをいつも颯爽と現れる玲瓏なる美剣士を二役にして錦之助、そう言えば沢島忠監督『一心太助天下の一大事』(1958年)でも大久保彦左を親分と慕う一心太助は勿論錦之助ですが彼らの活躍を遠く江戸城から睥睨しつつ老体に鞭打つ彦左を父の如く労る将軍家光もまた錦之助で、いなせでそそっかしい江戸っ子の立て板に水と格式の頂点にあって重々しさとひとの情に揺れる武家の頭領を演じ分けます。挙げれば切りがありませんが沢島忠監督『森の石松 鬼より怖い』は(戦前のマキノ正博監督『続清水港』のリメイクで)行き詰まった舞台公演のなりゆきに振り回される現代の演出家が楽屋裏でうたた寝をして目覚めてみれば森の石松になっていて(死出と知りつつ)あの金毘羅参りの道中にあるという展開に錦之助がふたつの現実を行き来しますし、マキノ雅弘監督『雪之丞変化』1959年)も江戸を震わす人気女形と髷を捻った尻っぱしょりの遊び人に入れ替わって橋蔵ファンの爛々たる喝采に応えます。

 

中川信夫 『まぼろし天狗』 大川橋蔵

中川信夫『まぼろし天狗』の大川橋蔵(旗本の浅川、町奉行与力の守屋)

 

 

 

戦前の千恵蔵らは元より錦之助、橋蔵までが二役を好むのはやはり彼らの多くが歌舞伎に芝居の出発を置いているからで歌舞伎ならば人気役者になるほど通し狂言を出ずっぱりに二役、三役とこなして観客の熱気に乗って乗せられる役者の華、まさに腕が鳴るわけで、そういう興行を先鋭化して映画とはカツドウの昔から詰まるところスター映画であるということです。だからこそ男性優位、家柄や伝統芸能が幅を利かせる保守的な映画の世界で(それらをすべて持っていないからこそ)その王道を女ながら罷り通ろうという美空ひばりもまた二役に心を動かされずにはいられません。渡辺邦男監督『べらんめえ芸者と大阪娘』(1962年)は東京の如何にも高度成長の上げ潮に乗る若いサラリーマンが高倉健と水原弘で彼らの鼻先をつむじ風のように吹き抜けるおきゃんな芸者がまずは美空ひばり、一転大阪のこいさんの佇まいで好対照なしとやかさに男たちの鼻孔をそばだたせるのもやはり美空ひばり、ふた様の女性を(これでもかと)演じ分けて男たちは体のいい添え物。沢島忠監督『お染久松 そよ風日傘』(1959年)では題名の通りのお染久松物ですが、野崎村の段を抜き出してひばり映画らしく幾分物悲しさに後を引かれつつハッピーエンドに仕立てます。当然江戸に鳴り響く油屋の美貌の娘は美空ひばりですが、丁稚の身ながらすっかりほの字なのが里見浩太郎(錦之助、千代之介、橋蔵と続いてきた美空のお相手にあって里見ほど美空に組み敷かれている感じもありませんが、それがそう悲愴でもないのがやはり里見の持ち前で何というか敷かれても隣の座布団という気にしなさ)、問題はこの段の言わば軒端の花であるお光ですが何と美空ひばり。大坂に商い見習いに出した里見がそこの娘と恋仲となってしまって田舎で待つ許婚のお光がわが身を縦に裂いて身を引くのがこの段の泣かせどころ。そんなもっけ役を美空が手放すはずのない二役ですが、ただ向かい合って同じ顔の娘を両手に(何の逡巡もなく)大店の娘を選ぶ里見はどう見たって娘の身代に目が眩んでいるようにしか見えず決して気持ちのいいなりゆきではありません。里見がどう見えようと劇がどう見えようとシネマスコープの総天然色の終わりに満面の美空ひばりが大写しになればどうあれ大団円に違いないというのも客は自分を見に来ているという美空の自信で、長谷川一夫当たり役の『雪之丞変化』なんて橋蔵が演ずるよりもさっさとこなして(渡辺邦男監督『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』は二役どころか三役と出し抜いて)腕が鳴るどころか、足踏み鳴らす横綱の風格。       (次週へ続く)

 

 

 

沢島忠 『お染久松 そよ風日傘』 美空ひばり

沢島忠『お染久松 そよ風日傘』の美空ひばり(お染)

 

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沢島忠『お染久松 そよ風日傘』の美空ひばり(お光)
 

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