見出し画像

海をもらう

上間陽子さんの名を知ったのは打越正之さんの著書でのこと。

沖縄でヤンキーの聞き取りをしてきた打越さんの『ヤンキーと地元』は、
出版されてすぐに読んだ。

フィールドワークやエスノグラフィーにとても興味を持っており、
そのやり方に共感する者として手に取らずにはいられなかった。
 
ちなみに、
このやり方に興味を持ったのは
大衆文化研究の第一人者であり社会学者の鵜飼正樹先生の著書がきっかけ。
学生時代に旅芝居の劇団に入団し、一年二か月実際に役者として舞台に立っておられた〝京大の玉三郎〟として『大衆演劇の旅』を書かれた。
憧れの存在だったのだが、
ひょんなことから文を読んでご連絡をいただき
時折やりとりをさせていただいたりするようになった。
(ご無沙汰でスミマセンすぎますが)
鵜飼先生の著書には、
見世物小屋の人間ポンプさんにずっと付いて書かれた
『見世物稼業 安田里美一代記』もあり、これも私のバイブル。
 
我が恩師の教えも大きい。

元新聞記者でエッセイストの武部好伸が学生時代に口酸っぱく教えてくれたのは、
「論文じゃあかん原稿を書け、読み物を書け」
「文献資料だけじゃあかん。外へ出て、会って、聞いて、見て、喋って、書け」

そんなこんなで手に取り、いろんな人に薦めた。

 そこから上間さんのことは頭にはあるものの、なかなか手に取る機会がなかった。

手に取ろうと思ったのは、私が今ますます「伝え方・書き方・残し方」を模索しまくりの昨今であること。

そして、今年頭に放送されたNHKの「100分deフェミニズム」という番組。
 
この番組に関しては、
「(地上波で)放送された意義はめっちゃ大きい」と
「時間が短すぎるよなあ。テレビ(地上波)の限界なんかなあ。むつかしいよなあ。この時間内にこんだけテーマ(トピック)を入れちゃうとなあ。
 ひとりひとりの話される言葉がカットされて伝わりにくいことや伝わらないことも大きいよなあ。でもいっこのトピックにもできないやろうしなあ」
が正直な感想ではある。
 
でも、
錚々たる出演者の中、
上間さんが語る内容と「伝え方」がとても印象に残った。

おだやかに、しずかに、ひとつひとつ言葉を選んで伝える姿。しずかながらも、強さ。
他の出演者の強い言葉、それもめちゃ、めっちゃ伝わった。
でも、だからより一層、私には印象に残った。
 
この人は「聞く人」「ちゃんと聞く人」なんだ、と思った。
と、共に、「だから、伝える」が出来る人なのかもな、などと感じた。
 
まだ読んでもいないのに。
 
数日前、ちょっと行ってみたかったちいさな本屋、
いわゆる「共同型書店」「棚貸し書店」で目に留まった。
出会いだ、と思った。購入し、数日かけて読んだ。

『海をあげる』(上間陽子・筑摩書房・202)
 

数日かけて読みたかったし、そうじゃないと読めない内容だった。
一気にはいけなかった。

思った。
 
どうしたらこんなに、
しずかにも強く、優しくも強い、言葉で伝えることが出来るんだろう。
 
言葉にできないようなことを、言葉にすること。
言葉にしてもらったことを、言葉にすること。
言葉や人の想いを見、聞き、受け止め、どういうかたちで?
正解なんてそもそもあるんやろか?
ないんやないか、っていつも思っている、人間を書くにおいて。
たぶんないんやないか。
人間をみればみるほど、みたくないことやものを知るほど、思う。
 
え? お前そんなに壮絶な経験してきてへんやろ?
そうやなあ、と、自分でも思ってきた。
自分が悪い、悪かった、と、
思ったり思おうとして
思ってきたままここまで来たこともたくさんあったのだと気づいた。
社会的なことかと言われたらそうではないかもしれない。
でも「あこであの場でやり過ごさなくてよかったんだなあ」とか、
出していくことで誰か同じような経験をしている人の何かになったんだなあ、とか、いろんなことを今思ったりする。

それは、これまで、と、特に今、近年、
大事で大好きなジャンルの劇場でいろんな舞台や人に触れて、思う。

いいこともわるいことも、でもやっぱり、いいことも。

思った今が、今から、とも思う。だから……。
 
という私の事はもう一度さておき。おけないけど、さておき。
 
表紙をひらいてすぐの帯には、
フランスの哲学者であるシモーヌ・ヴェイユの言葉が引用されている。

読めば読むうちにこの言葉がここに置かれたことがずんっと来る。
 
「半分つぶされた虫のように、地面の上をのたうちまわるような打撃をうけた人々には、自分の身を表現する言葉がない」
 
そして、
裏表紙をひらいてすぐの帯には、
あとがきに書かれた上間さんの言葉が一部載せられている。
 
「言葉を失うということはこういうことかとあの日からずっとそう思っています。
「何も書けません」という私に「SNSで友だちにむけて書いているような日々のことを」
といわれて書いたのが「アリエルの王国」でした。
私のなかにだれかに何かを伝えたいという思いが残っているのか、
自分の声を聞きとるような一年でした」
 
私、今、ますます「伝え方・書き方・残し方」を模索しまくりの昨今。
どうしても形にしたい2つの世界の2つのことがあって、どちらもむつかしい。
でもそれだけじゃなく常にいつも模索しまくりの昨今。

「聞く」「ちゃんと聞く」

「みる」「ちゃんとみる」

人間を。

例えば答えの出ないこと。わかるとかわからないとか善悪だけでは判断できないこと。生きるうえでのこと。

って、すぐに「人間を」と言ってしまう書いてしまうが、
これすら抽象的で漠然としすぎている。

なかなかできないこと。できていない。
できたつもりになりがちでなにも見えていない。
なにも聞けて聞こえていない。
見たいと思うもの、聞きたいと思うこと、
たぶんそれしか見えていない聞こえていない。

気づいた今、やれ。一生かけて、やれ。
それでもできないかもしれない、けど、やれ。

「聞く耳を持つものの前でしか言葉は紡がれないということなのだと思います。
(中略)
ただ、あのとき私は聞く耳を持たなかった。
だから聞き逃した声がたくさんある、ということだと思っています」
 
「もっと広げて、もっと直接社会に訴えるような活動をすることも必要だと
思います」
(中略)
バトンを渡しただれかがいて、バトンを受け取ったひとはなにかをやって、それからほかのだれかにバトンを渡してリレーは続く」

海をあげる。
海をもらった。
もらってしまったし、
海は皆で共有しなければ、するものなんだ。

出会えてよかった一冊です。



本の話と言うより自分の中の整理のようになってしまって、だめだな。
でも整理も兼ねて、文中のものの過去記事も貼っておくことにします。



以下は、ちょろっとですがいつもの自己紹介 。
と、苦手なりにもSNSあれこれ紹介、連載などなどの紹介!!も。
よろしければお付き合い下さい🍑✨
ご縁がつながったりしたらとても嬉しい。

大阪の物書き、中村桃子と申します。 
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。

【Twitter】【Instagram】【読書感想用Instagram】

ブログのトップページに
簡単な経歴やこれまでの仕事など書いております。パソコンからみていただくと右上に連絡用のメールフォーム✉も設置しました。


現在、関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて女2人の酒場巡りを連載中。

と、あたらしい連載「Home」。
皆の大事な場所についての話。

2023、復活。先日、新作が出ました🆕

以下は、過去のものから、お気に入りを2つ。

旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
あ、小道具の文とかも(笑)やってました。

担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
アーカイブがYouTubeちゃんねるで公開中
(貴重映像ばかりです。私は今回のアップにはかかわってないけど)


あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆、無理せず、どうぞどうぞ、元気でね。

楽しんでいただけましたら、お気持ちサポート(お気持ちチップ)、大変嬉しいです。 更なる原稿やお仕事の御依頼や、各種メッセージなども、ぜひぜひぜひ受付中です。 いつも読んで下さりありがとうございます。一人の物書きとして、日々思考し、綴ります。