知床ナチュラリスト協会創業者の藤崎達也氏が語るガイドツアーとまちづくり

2022.01.31 00:00

民泊観光協会はウィズコロナ・ポストコロナ時代を見据えた民泊のあり方を考えるオンラインセミナー「持続可能なまちづくり―民泊にできること」を開催している。11月16日には「ガイドツアーとまちづくり」をテーマに、知床ナチュラリスト協会創業者の藤崎達也氏が講演した。

 私は2013年に稚内北星学園大学で教鞭を執るようになる前は、17年間にわたって知床を拠点とするガイドとして観光の現場に立ってきました。1998年には知床ナチュラリスト協会を立ち上げ、15年間代表者を務めました。この間、2003年には岩手県田野畑村で体験プログラムを提供する番屋エコツーリズムの立ち上げにも参加し、大学に入ってからは学生たちと共にまち歩きツアーもつくりました。一貫しているのは人口減少下における地方での持続可能な観光サービスの提供です。

 実は私自身、まちづくりそのものへの関心はさほどありません。これまでの仕事を通じて結果としてまちづくりには人一倍関わってきたと自負はしていますが、まちづくりという言葉には常に違和感を覚えます。一体どういう意味でのまちづくりなのかが曖昧な点が違和感につながっています。

 まちづくりの意味するところは主に4つあると思います。1つ目が中心市街地活性化事業で、いわゆるシャッター通りの再生です。2つ目が観光振興のための観光まちづくりで、ここ10年ほど非常に多くみられます。3つ目は自立した個によって自立した地域を目指す活動で、4つ目がその他です。圧倒的に多いのが1つ目と2つ目で、行政による公共事業としての意味合いが強い取り組みです。3つ目はまれなケース。しかし、まちづくりを進めるには、それにかかわる個々が自立していなければ持続的な取り組みになり得ません。

 まちづくりとガイドとの関係も自立が重要になります。ガイドはまちづくりにおいて地域の魅力を知る存在として重要ですが、ガイドする者は自立していなければなりません。そうでなければ、まちづくりも持続可能な取り組みにならないからです。体験プログラムをつくるにしても、プログラムをつくってからガイドを探すケースが多いですが順序が逆です。まずは個々のガイドが地域において自立して存在していなければなりません。

 民泊の方々はすでに自立しているので、貴重なガイド人材だと考えられます。私は民泊事業者の方々と知り合い良い意味で衝撃を受けました。自分のリスクで事業を始めており、必要とあらば自分たちでガイドを始めている方もたくさんいます。それを知って大きな希望を感じました。

逆まちづくりという発想

 私は知床で流氷ウォークを始めたのですが、当時、地元では流氷を歩くなど考えられないことでした。子供の頃から「絶対に流氷に乗ってはならない」と教育を受け、たたき込まれてきたからです。しかし旅行者からすれば乗ってみたいと思うわけです。ならばドライスーツを着て安全性を確保してやってみようと始めたのが流氷ウォークの体験プログラムでした。海上保安庁や消防など関係機関からも思いとどまるよう指導を受けました。

 しかし、求められなくても参加者リストを毎日駐在所にファクス送信し、流氷ダイビングの業者と連携して訓練も行うなど安全確保に万全を期しました。最初のうちは地元の人が「流氷に人が流されている」と警察に通報して、パトカーが出動するハプニングもありましたが、結果的には大人気となり、現在は4社が催行。地域経済活性化にも役立つ成功事例と認識されるようになりました。

 この経験を通じて「逆まちづくり」の重要性を学びました。つまり、やってはいけないことをやるまちづくりです。行政主導の正統的なまちづくりでは恐らく「できません」の一言で終わったでしょう。しかし流氷ウォークはやってはいけないことをやり、結果的に人気プログラムになり地域に貢献できた。だから、逆まちづくりなのです。

 知床のグリーンシーズンの山歩きも新しい発想で可能性を広げました。知床の観光に最適なシーズンはヒグマが最も人里に近づく時期と重なります。だからヒグマが多く出没する季節には景勝地の遊歩道が立ち入り禁止になることが度々ありました。ひとたびヒグマの目撃情報があれば、行政が遊歩道を2カ月間立ち入り禁止にしてしまうこともありました。しかし最適なシーズンの知床の魅力を多くの人々に見てもらいたいし、旅行者だって素晴らしい景観もヒグマも見てみたいはずです。そこで環境省と一緒にヒグマがいても遊歩道を歩ける登録引率者制度を作りました。

 当時、ヒグマの専門家といえば知床財団所属の職員か環境省のレンジャーでしたが、民間ガイドも仕事を通じてヒグマに関する多くの情報を蓄積していました。当時約10事業者がツアーを行い、50人ものガイドが日々仕事を通じて積み重ねた膨大なケーススタディーを持っていました。そこで行政、知床財団と民間ガイドが一緒になって安全管理に関するテーブルを設け、ヒグマと観光の両立を図るための話し合いを続けました。その結果、それまではヒグマが出れば即立ち入り禁止だった常識を覆し、登録引率者制度によってヒグマがいても観光できる枠組みをつくることができました。これも常識では「やってはいけない」とされてきたことを可能にした逆まちづくりの事例です。

 先住民であるアイヌの方々がアイヌ遺跡などを案内する先住民族エコツアーもつくりました。以前はアイヌ民族の方がガイドを務めるツアーはありそうでないのが現実でした。当時はアイヌ民族を先住民族と認めることに反発する声が一部にあるような時代でしたし、アイヌ民族の方も観光には冷淡でした。観光を見世物と捉え反発する人も多くいたからです。また、知床にはアイヌ民族が強制移住によって土地を追われた歴史があり、アイヌ民族として生活している人が極めて少ない場所でした。そのような知床でアイヌに関するツアーをすべきではないという声もありました。さらに他の土地のアイヌが知床のアイヌ文化を語るなどあり得ないという意見も出ました。

 しかし地元のウタリ協会(現アイヌ協会)や研究者らと共に「知床先住民族エコツーリズム研究会」を立ち上げて、ツアーをやりながら知見を自分たちで積み重ねていく方法を取りました。こうした取り組みを通じて知床におけるアイヌ民族の存在に関する認知度が上がったこともあって、知床の世界遺産化を図る際にはアイヌ民族の関与を管理計画に盛り込むことができました。また先住民エコツアーに関わったアイヌのガイドの方々が、現在、国立施設であるウポポイで数多く働き、アイヌ文化の継承や紹介にあたっています。この先住民族エコツアーも逆まちづくりの事例の1つでした。

魅力的な体験プログラムが続々

 知床ナチュラリスト協会からは多くのガイド事業者が独立していきました。知床に関しては知床のガイド屋pikki、知床サイクリングサポート、知床アイヌエコツアー、知床らうすリンクルなど。稚内ではまち歩きガイドや稚内着物でまち歩き実行委員会などです。日本人は「稚内で着物?」と思うでしょうが、訪日外国人は日本ならどこでも着物を着られると考えています。どこで着ようかと考えているうちに北の果てまで来てしまう旅行者も多い。そこで、稚内で着物を着てまち歩きするツアーをつくったら人気が出たというケースです。さらに十勝の、いただきますカンパニーという会社でのガイド育成等々、さまざまな取り組みに関与していますが、現在は道外でも公共事業のお手伝いをしています。

 これらは基本的には全部、ガイド屋を立ち上げ、ガイドを供給する仕組みを用意している点で、恐らく行政だけで行うまちづくりとは異なると思います。さまざまな地域でお手伝いをさせていただいた取り組みの中から、「これから来るぞ」と思えるツアーを紹介します。

 まず豊頃町のジュエリーアイス。これは十勝川を流れ下った氷が一旦海に出て、波にもまれて丸く削られ海岸に打ち上げられる。その氷をジュエリーアイスとして手に取って楽しむというツアーです。サムライプロデュースというガイド事業者が行っていますが、ジュエリーアイスを見るだけでなく、美しい雪景色の中に即席のカフェを設けてコーヒーを楽しみ、皆でカップを洗いその水を空へ放り投げると瞬間的に凍って氷になる様を楽しむ仕掛けも用意しています。

 糠平温泉のバブルアイスも注目です。東大雪ガイドセンターがツアーを行っています。氷が水中の下へ下へと凍っていく際に閉じ込められた泡を立体的に観察できる内容で、スノーシューでトレッキングして目的地に到着するのですが、途中、使われなくなった鉄道遺構の見学などを楽しみながら目的地を目指します。

 別海町の氷平線ウォークも人気が高まっています。野付半島ネイチャーセンターのツアーです。

 私はこれらの事業にかかわる際には、行政事業でもガイドプログラムをきちんとビジネス化することを意識しました。安全管理も必須です。たとえばジュエリーアイスのツアーは場所が海辺なので必ずライフベストを装着します。こうした安全管理の徹底もプログラムづくりに欠かせません。

 このほか、北海道以外でも岩手県の田野畑村で番屋エコツーリズムを立ち上げました。そこでは体験村たのはたネットワークというガイド事業者が生まれました。彼らが「机浜番屋群」という番屋が集まっている浜を舞台に体験プログラムを実施しています。もともと、机浜番屋群の保存会があり、この活動に参加していた方々の思いをくんでガイドプログラムに仕上げました。保存会が体験村たのはたネットワークの前身となったわけです。そのおかげでストーリーもつくりやすくプログラムの内容も骨太なものになりました。

 ところが11年3月の東日本大震災で番屋群は津波で流されてしまいました。しかし7月にはすでに視察を受け入れ津波体験を説明していました。これは地域の方々が自主的に始めたものです。村に観光ガイドがいたことで、このような対応ができました。観光は何かがなくては始まらないと考えがちですが、田野畑村では文字通りなにもなくなってしまった場所を案内しました。何もないからこそ旅行者が来ました。番屋も観光の力で復旧されました。田野畑村は復興プログラムのメインに観光をいち早く取り入れ、復興への道を歩みました。田野畑村での取り組みを通じ、観光の力の大きさをあらためて感じることができました。

ふじさき・たつや●北海道知床や岩手県田野畑村などで数々のエコツアーをプロデュースする。特に流氷ウォークやサッパ船アドベンチャーズは地域の象徴的メニューに。アドベンチャーバケーションネットワーク監事、札幌国際大学観光学部准教授。著書に「観光ガイド事業入門 立ち上げ、経営から『まちづくり』まで」(学芸出版社)。

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