滑川町伊古の二ノ宮山(標高131.8m)山頂に、延喜式内社『伊古乃速御玉比売神社奥宮』
(いこのはやみたまひめのじんじゃ)が祀られています。
伊古乃速御玉比売神社は仁賢天皇年間(449~460年)に、蘇我石川宿禰の子孫が二ノ宮山
の頂上にに創建したと伝わり、天正4年(1576年)に現在の地へ遷座し、二ノ宮山の社を
奥宮としたといいます。
登山口です
車での登山はできません。徒歩で10分ほどと言いますが、それは普通の人の話しでして!
相当歩いたつもりでもまだ300mもあるとは
この先「展望塔まで180m」の標識には 上り勾配22% と更にきつくなっていました
やっと目の前に展望塔が
本来は奥宮への石段を上ってくるのでしょうがルートを変えて
『ふるさと創生二ノ宮山周辺整備事業』説明看板
ふるさと創生二ノ宮山周辺整備事業 (前略) 二ノ宮山は、その昔武内宿禰が東国を巡察した折り、この山に登り里の状況を視察したと伝えられ ています。 その後子孫が宿禰、神功と応神の三神を祀ったのが比企郡の総社といわれる伊古乃速御玉比売神社で す。 山頂の神社は、伊古乃速御玉比売神社の奥社として祀られており古くは二ノ宮山自体が信仰の対象 となっていました』 (後略) |
『弥勒菩薩』
『改築記念』碑
額題の文字が篆書体なのでこれを判読するだけでも大変です
改築記念 宮司七十八翁能見武一先生篆額 鎮守伊古乃速御玉比賣神社はこの二宮の山上に祭祀されていた仁賢天皇の御代の草創といわれ延喜式 神社帳にも明記されており昔は阿州大明神とよばれた大社で比企郡の総社でもあった 文明年間当時の伊子村の中央現在地に移し祀られたと伝えられているそして里人は二宮山上の跡地に は小さな祠を建て奥の院と称して崇敬してきた豊作の神として名高い群馬県の榛名神社を合祀し毎年 四月十五日に例祭を行っている 現在の祠はいつの頃建てられたものかつまびらかでないがながい風雪のため老朽化したので今回氏子 総代等相謀り建築委員会を組織して大字内及び郷土出身の人々知名人などの協賛を仰ぎここに社殿の 改築をしたのである 昭和四十八年四月吉辰 早川文泉撰文 木村倉之助書 武藤次郎施工 |
伊古乃速御玉比売神社『奥宮』
社殿内
社殿の右側にある『八大龍神』
社殿左側にある『共有地開発記念碑』
《碑文概略》かつて(明治時代以降)この山周辺は75名の地権者があり、杉檜の植林業を
営んでいた。太平洋戦争後、共有地だったこの山周辺に開発の流れがやってきて、昭和44
年西武鉄道の開発予定区域となり、後にゴルフ場が建設。
しかし、地元の方々と行政の協力により山頂を整備し、伊古乃速御玉比売神社合祀榛名神
社の改築などを実施した。
左:〔展望塔》 中:『共有地開発記念碑』 右:『奥宮』
『展望塔』
高さ 全高23.7m 展望台21.0m 中間展望台7.3m
面積 展望台41.0㎡ 中間展望台82.4㎡
展望塔には上りませんでした。折角山頂まで来たのに残念ではありましたが、階段を上り
下りするだけの体力がありませんでしたし、仮に上っても今度は下山に影響しますので。
元々は二ノ宮山に登るのさえ躊躇していたのですから(山城跡の攻略も控えている現状で
すし)目的は展望塔ではなく奥宮参拝だったという口実にしておきましょう
一応高い所へ行った証拠にと・・・
参拝日:令和2年(2020)10月11日(日)