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教養学部報

第634号 外部公開

<駒場をあとに> 教員よ、語り合え!

岡ノ谷一夫

image634_08_1.jpg 俺が駒場で講義を始めたのは二〇一〇年七月だった。そのころはまだ理研(理化学研究所脳科学総合研究センター)にも所属していて、そちらは順次縮小しながら二〇一一年三月中に引っ越しを完了する予定だった。予定外だったのは、二〇一一年三月一一日の大地震だ。俺はそのとき、ある学生の博士論文本審査のため2号館三階にいた。本審査会がほぼ終わるころ世界が激震した。本審査会はその時点で当該学生の合格を決め、すぐに解散した。そして俺が駒場を去ることになった二〇二一年度は、前年から続く伝染病のせいで身動きままならぬ年となってしまった。俺の駒場時代は、大地震に始まり伝染病に終わることになった。忘れたくても忘れられないだろう。 大地震の日、妻は和光市に俺は駒場におり、俺たちの家は吉祥寺にあった。妻は保育園に通う娘とおなかの中の息子を抱え、なんとか吉祥寺に戻ってきた。俺は井の頭線が止まったので研究室で寝た。これがきっかけで、俺たちは次の災害で家族離散となる危険を避けるため、駒場に住むことに決めた。北門から出てすぐ、セブンイレブンのあたりにあるマンションに俺たちは住んでいる。だからこの十一年、俺は極端な職住隣接環境にいた。講義を忘れていても学生が電話をかけてくれれば五分以内で教室につき、大学でどんなに遅くまで仕事をしていても家に帰ることができた。 俺は駒場に来るまで紆余曲折の人生を歩んでいた。その詳細は「おかぽん先生青春記」と検索すれば新潮社「考える人」のサイトに連載している。俺の恥ずかしい話は、そちらを見てやってくれ。とにかく俺は、ヒトを含む動物の心について生物学的な研究をしようと考え、結果として文系・理系と分類されるどちらの分野にも当てはまらず、右往左往していたのだ。だから文理融合を標榜する駒場の教員の公募に飛びついたのであった。 俺のいる認知行動科学講座は文系と理系から半分ずつ学生が来る。前期部会は文系、後期と大学院は理系だ。だから誰も文系か理系かというようなケチなことは言わず、楽しく研究している。俺にとって理想的な環境なのだ。しかし実際駒場に入ってくると、学生の文理融合は進んでいても教員の文理融合が進んでいなかった。駒場の一員となった以上、駒場を世界一の文理融合環境にしたいと俺は思った。
 しかし時のたつのは早い。俺は部会主任やら進化認知科学研究センター長やら生命環境科学系長やらこころの多様性と適応の統合的研究機構長やらをやらせてもらったが、せっかくそうした役職についても、俺の運営能力はたかが知れていた。駒場の文理融合のためにもっとジタバタするべきだった。これはほんとに後悔が残る。誰か俺のジタバタを引き継いでくれることを祈る。心残りと言えば、俺は駒場の先生方の研究をもっと知りたかった。研究の話を始めると、誰もが独自の世界を持っている。駒場書籍部でふらりと買ったヘンテコな本が、他でもない、教授会で地味に座っているあの先生の本だった! というようなことは何度もある。教員同士で語り合う機会が増えれば、自然に文理融合も進むはずなのだ。教員よ、語り合え!
 認知行動の同僚にはたいへんお世話になった。研究には厳しくそのほか(特に飲み会)では楽しい人たちで、俺の学生も俺もたいへん鍛えられた。俺が教室会議でプロレスのラッシャー木村のマイクパフォーマンスをやっても暖かく受け止めてくれた。この人たちがいる限り駒場はなんとかなるだろう。突然異動することになり、少なからず迷惑をかけたと思うが、認知行動は永遠に不滅です(ここは長嶋茂雄)。
 教師がだめでも学生は育つ。それが駒場の良いところだ。幸い、俺のところにも熱心で勤勉で飲み込みが早くて我慢強くて素っ頓狂な学生さんがたくさん来てくれた。俺はわらわらと科研費の書類を整え、研究しやすい環境をつくり、学生さんの背中をちょっとだけ押す。すると学生さんはなんだかわからないなりに道を探しだし、少しわかってきたところで卒論を書き、修論を書く。一部の物好きな学生さんは殊勝にも博士課程に進み、そのうち俺よりずっと専門家になって飛び立ってゆく。これが駒場の幸せであった。そしてここ数年俺が小役人と化した中、学生さんたちを指導してくれた研究員のみなさん、整理整頓と電話と予定管理と金勘定が苦手な俺を支えてくれた事務員のみなさん、ありがとう。こうして俺の研究室はなんとか回っていったのだった。
 どこの馬の骨かも知れぬ俺のところに来た初代院生たち、ラットと同様に昼夜逆転した学生、毎晩人生相談に来た学生、卒研中にサークル活動で骨折しながらも脳切片を作っていた学生、やけにサブカルに詳しく遊んでいるかと思いきやしっかり研究している学生。研究室はじめての飲み会の自己紹介で「昨日失恋しました」と言った学生。みんなで行ったイギリスやカナダやインドの国際会議。懐かしい。だがまだ終わっていない。俺が研究を続ける限りは。「後悔が残るくらいがちょうどいい春あわゆきのほかほか消える」(東直子)。

(生命環境科学/心理・教育学)

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