「海外でも日本でも、
暴力や虐待に苦しむ
子どもをなくしたい」
日本のNGOの取り組みとは?
「勉強をしてみたかったな」
だ
ま
さ
れ
て
売
春
宿
に
売
ら
れ
20
歳
で
亡
く
な
っ
た
少
女
。
東南アジアの農村で暮らすミーチャ12歳。
母親は病気で亡くなりました。
父親は病気で働くことができず、働き手は長女のミーチャだけです。
ミーチャは家族のために12歳で農村を出ました。
出稼ぎに行った先はなんと売春宿でした。
子守の仕事だと聞いていたのに、
だまされて売春宿に売られてしまったのです。
客を1日何人も取らされ、毎日泣きながら暮らしました。
そして、エイズを発症し、20歳の若さで亡くなりました。
「私には本当は夢があって、
学校へ行って、勉強というものをしてみたかったな…」
亡くなる前に彼女が漏らした言葉です。
※出典:大久保 真紀著「買われる子どもたち―無垢の叫び」
「
子
ど
も
が
売
ら
れ
な
い
社
会
を
作
る
」
日本の大学生が始めた活動。
自分のワンピースと同じ1万円で売られる少女…
村田さんは大学2年生の時に授業でミーチャのことを知りました。
この問題を知るまでは、親に学費を払ってもらって大学に通い、
趣味のファッションを楽しみながらサークル活動に参加する普通の大学生でした。
ミーチャがだまされて売られた金額は1万円。
その時村田さんが着ていたワンピースと同じ値段でした。
「望んでも1回も学校に行けなかった女の子。
親に学費を払ってもらい、大学に通う私。
生まれた環境が違うだけで、
どうして与えられた運命がこんなにも違ってしまうのだろう?」
村田さんは、この時に受けた衝撃は忘れることができなかったそうです。
カンボジアで知った悲惨な現実
村田さんはいてもたってもいられず、大学の夏休みに、
カンボジアの児童買春の被害者を保護している施設を訪問し、
そこで6歳と12歳のこどもに出会いました。
二人は抵抗できないように
電気ショックを与えられながら売春させられていたのだそうです。
保護された時、彼女たちの腕には電気ショックによる火傷の跡が無数にありました。
また、夜が来ると泣き叫び、熟睡できません。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状に悩まされていました。
村田さんが「彼女たちの親は、子どもが売られていく先が売春宿だと知っていたのですか?」と質問すると、施設の所長は
「知っていたけれども借金を背負っていたために、彼女たちを売るしかなかったのだ」
とつぶやきました。
たとえ大きな国際会議でも提案するだけでは
「
現
実
は
変
え
ら
れ
な
い
」
「とにかくどうにかしたい」
そう考えた村田さんは、本や資料で勉強したり、
関連するセミナーに参加することから始めました。
セミナーに参加するうちに、2001年に横浜でさまざまな国の外務大臣が出席する国際会議※が開催されること、
そして日本の若者が参加できることを知りました。
「大きな国際会議でこの問題を解決するための提案をしたい」と考えた村田さんは、
出席者に立候補し、見事にスピーカーに選ばれました。
できる限りのことを準備した甲斐もあり、最終的には国連の文書となるほどの評価を受けました。
ただ、提案しただけでは世の中は全く変わりませんでした。
村田さんはこの時、実際に予算の配分が変わったり、
法律が改正されたりするところまで政府にお願いし続けないと、
世の中は結局変わらないということ、そのためには大変な時間がかかることを痛感しました。
※第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議
「とにかくどうにかしたい」
そう考えた村田さんは、本や資料で勉強したり、
関連するセミナーに参加することから始めました。
セミナーに参加するうちに、2001年に横浜でさまざまな国の外務大臣が出席する国際会議※が開催されること、
そして日本の若者が参加できることを知りました。
「大きな国際会議でこの問題を解決するための提案をしたい」と考えた村田さんは、
出席者に立候補し、見事にスピーカーに選ばれました。
できる限りのことを準備した甲斐もあり、最終的には国連の文書となるほどの評価を受けました。
ただ、提案しただけでは世の中は全く変わりませんでした。
村田さんはこの時、実際に予算の配分が変わったり、
法律が改正されたりするところまで政府にお願いし続けないと、
世の中は結局変わらないということ、そのためには大変な時間がかかることを痛感しました。
※第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議
勘当も乗り越え、
「
2
人
の
仲
間
と
か
も
の
は
し
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
を
立
ち
上
げ
」
会議後には、いろいろな団体を訪れ、
売られる子どもの問題をなくすための提案をして回りましたが、提案はなかなか通りませんでした。
「これほど提案しても既存の団体ではできないということであれば、自分がやるしかない」
あきらめず会う人会う人に想いを伝えていたところ、
一人ふたりと共感してくれる仲間が増えていきました。
当時大学生だった共同創業者の青木さんとと本木さんと2001年に出会い、
2002年にかものはしプロジェクトを立ち上げました。
大学卒業時に、村田さんは父親に卒業後はカンボジアに行って本格的な活動を始めることを伝えました。しかし、
「もしやるなら家を出て行きなさい」と猛反対されてしまいました。
自分を心配して反対している父親の気持ちを理解し、一度は諦めそうになったそうです。
「私は本当にこれがやりたいのか」
「本当に人生を掛けてやる意義があるのか」
村田さんは自分の意志を確かめるためにカンボジアに渡航しました。そこで5歳の被害者に会い、
「やっぱり5歳の子が売られているのはおかしい。私が絶対にこの問題を解決する」
と心に決めました。最後は、家族全員を説得し、カンボジアでゼロから活動をスタートさせました。
子どもを「
買
わ
せ
な
い
」「
売
ら
せ
な
い
」。
かものはしプロジェクトの取り組み。
一人ひとりの女の子を助け出すだけでは、この問題を解決することはできません。
かものはしプロジェクトは、
「子どもが売られない」仕組みを作ることが必要と考えました。
最初に活動したカンボジアでは「買う側」と「売る側」両方に働きかけ始めました。
売春宿や子どもを買う人を摘発するための警察支援や、
子どもを売らなくてすむようになるために貧困家庭の女性を雇用する工房の経営に尽力しました。
その結果、カンボジアでは性犯罪の加害者の逮捕件数は2001年からの9年間で大幅に増え、子どもを置く売春宿はほとんどなくなり、
「人身売買の問題がほぼ解決した」と言えるまでになりました。
子 ど も が 売 ら れ な い 世 界 を 、 イ ン ド で も 。
しかし、まだ年間100万人もの子どもたちが、
世界中のどこかで性的搾取を目的とした
人身売買の被害にあっています。
かものはしプロジェクトは、今、
世界最大の人身売買規模と言われているインドでの活動に注力しています。
2025年までにインドで子どもが売られる問題を解決することが目標です。
アンケートに答えて、
かものはしプロジェクトに無料で支援を届けよう
かものはしプロジェクトに無料で支援を届けよう
だまされて売春宿に売られ、働き続けさせられる。今でも年間100万人の子どもたちが、世界中のどこかで性的搾取を目的とした人身売買の被害にあっています。
「かものはしプロジェクト」は、「子どもが暴力や虐待で苦しまない社会をつくる」ために活動を続けています。
今なら、アンケートに答えるだけでかものはしプロジェクトに10円を寄付することができます。
費用は寄付ナビが負担するため、あなたには一切費用はかかりません。参加するためのご登録も不要です。所要時間は30秒程度です。※
「子どもが暴力や虐待で苦しまない社会をつくりたい」と思っていただけたなら、無料支援に参加してみませんか?
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